vol.12:失敗!

 撮影で失敗した。スタジオのタレント撮影で、自然光のみで撮影したのだが、ピントが甘く、10ロール回したにもかかわらず、ピッチリピントがきていたのは、わずか数枚だった。機材はハッセルブラッド553ELXゾナー150ミリ。絞りはf4開放で250分の1秒。ぱっと見には合っているようにみえるのだが、8倍のルーペで見るとほんのわずか前ピンで、まつげにピントが無い。その差おそらく5センチない。ピントには絶対の自信があっただけにポジをルーペで確認した時は心臓が止まりそうだった。10本見て、これもダメこれもダメとめくっていくときの悲しさ。青ざめた顔で編集部に出向き、うつむいて事情を説明した。悪いのは僕で誰のせいでもないのがつらい。3日間ヘコミ、その後もすっきりしない。その直後の撮影は、現像のテストが仕上がるまで怖かった。

 この仕事を始めて14年、カメラマンと名乗って17年。いまだに年一回はヒヤッとする。ルーティンワークではなく、毎回毎回、条件が変わる仕事がほとんどのため、チェックをちょっとでも怠るとミスが顔を出す。今回の失敗の要因は、スタジオで条件がいいことに、ピントきっちり合わせずにモータードライブを回し続けたせいだ。通常は途中で合わせなおすのだが今回は魔が差した。そういえばこの魔が差したという言葉、犯罪者がよく使っている。気分はすっかり犯罪者のようだ。

 これまでもたくさんの失敗を経験している。新聞社の頃、出張先の暗室でよく確認しないままフィルム現像をはじめ、癖で目をつぶったままフィルムを現像リールに巻きつけた。真っ暗にしたはずなのに途中で目を開けたら、手元のリールがはっきり見えるではないか。ギャっと叫んであわててシャツの中に隠したが、もう後の祭りで大事なフィルムをパーにした。新聞社は時間が命なので大切な原稿からとりかかる。一番のメインが無くなった。でも原稿は送信しなければならない。社に電話したらとんでもないことになる。急いで他社のカメラマンに連絡をとり、1枚使わなかったカットのネガを分けてもらった。以外だろうが年がら年中現場で顔をつき合わせているため、新聞社カメラマンの仲間意識はとても強い。よっぽどのスクープでないかぎりは助け合う。次の失敗は自分かもしれないからだ。借りは後日きっちりと返した。

 これは僕ではないが、停電中に暗室に入り、現像中に電気が復帰してパーにした人や、「フィルムの途中までしか撮っていないから50センチだけ現像しろ」と言われて「50センチですね」とフィルムを50センチその場でパトローネから出したやつもいた。手現像の時代は現像液と定着液を間違えたとか、この手の話はごまんとある。

 よくやったのはカメラにフィルムを入れ忘れたとか、ちゃんとスプロケットギアに噛んでなくてフィルムが回っていないとか。今のカメラでは考えられないが、このミスはみんな結構やっていた。35歳以上のカメラマンは、あのフィルムを巻き戻すときの手ごたえの無さに冷や汗をかいた経験が必ずあるはずだ。

 フリーになって最初の頃、ブロニカSQを使って料理を撮った時、1点だけ1駒に多重露光してしまったことがある。ブロニカはポラロイドを使うときには多重露光モードに切り替えなければならない。フィルムバックを装着する時にうっかり戻すのを忘れてそのままシャッターを切った。当然すべて1駒に露光されて、そこだけ真っ白になった。フィルバック2つで撮り分けるということはしていなかった。現像所で上がりを見たときには事態を信じられず、何度もポジを見返した。でもそこには白くとんだカットがあるだけ…叫びながらバイクで家まで戻った。翌日、編集部に菓子折りを持参し頭を下げた。そのときお茶を出してくれた編集者が今の僕の妻となった。
 
 その後も失敗は続く。髪の毛がカメラ内に入っていたとか、ホコリが写っていたとか。その度に現像上がりを見ては、血の気が引く。誇張ではない、本当に血が頭から足へと落ちていく。体がまるで地中に埋まったような気持ちになるのだ。ひとつ失敗してひとつ覚える。でもまだまだどこかに失敗の種が潜んでいる。

 デジタル撮影になったら失敗は少なくなるのだろうか。その場で確認して即納品。いいこと尽くめの気がするが、カメラマンへのソンケイは無くなるだろうなー。「そこ、もうちょっと右」とかモニター越しに言われる日は近い。