vol.23:色の味

人間、四十を越えるとなにごともうすくなるようです。なんだか頭もうすくなったような気がするし、味もコッテリよりサッパリを好むようになりました。

最近とんと見ませんが、「ガングロ、ヤマンバ」の類はコッテリの最たる例でしょう。彼女らは、あの格好こそ「イケテル」と信じていたはずです。

この頃写真を撮っていて驚くのは、うすい色味が好きになってきたということです。10年前は、ポジを使ってそのまま普通に撮るのが我慢ならず、フィルターをレンズ前に2枚、後ろに1枚貼り付けたり、フジのベルビアを3絞り増感してみたり、一度撮ったポジをさらにデュープ(複写)し、わざわざトーンを荒らすことまでやっていました。ついにはカラープリントに手を出し、現実離れした色ばかり作っては悦に入っていたのです。レンズの描写の味とか、いっさい関係なし。「色はオレがつくる」、本気でそう思っていました。その頃のギトギトの写真は、プロフィールの中のNumberの写真に残っています。当時はその色こそが正しいと信じていたのです。

ところがだんだんノーマルな色が好きになり、仕上がりに手を加えることが少なくなってきました。レンズ前にフィルターなどの異物が入るのが嫌になり、プリントをしてもノーマルな色味で焼くことが多く、印刷上では、ポジとの区別がつかなくなってきました。その上「ツァイスの微妙なレンズ描写がどうたら」と言い出す始末。

このコラムでハッセルSWCビオゴンのことを「色味がうすい」とちょっと否定的に書いたところ、田中長徳氏から「僕はそういった薄い色のレンズにはまっています」とメールが届きました。今の僕にはうすいと思われる色味も、年齢を重ねることによって魅力的に見えてくるのでしょう。ちょっとだけ分かる気がします。

写真を変えるには、「性格を変えるか生き方を変えるしかない」と思っていました。加えて「生理が変わっても写真が変わる」ということにも気がつきました。

ずっと同じ写真家の写真展や写真集を見続けると、その時々の作家の気持ちがとてもよく現れていることに気が付きます。時折有名作家で、「なんじゃこりゃ」という写真を発表する人もいます。以前はそれが許せなかったのですが、生理的な移り変わりということに気がついてから、考え方が変わりました。「今、この作家はこういう精神状態なんだ」と思えるようになりました。「昔はよかったのに」とはもう思いません。写真にその人自身を見てしまいます。

2000年度の木村伊兵衛賞受賞者の一人に蜷川実花さんがいます。彼女は、コントラストが高くビビッドな色のカラープリントで世界を切り取っています。現実離れした鮮やかな色味ですが、彼女には本当に世界がそう見えるのでしょう。

彼女も歳を重ねていくにつれ、うすい色味を好むようになるのでしょうか。今後、どんな写真を発表していくのかとても興味があります。