vol.24:紐育2001年7月

四十過ぎの男が一人で、仕事でもないのにニューヨーク。しかもはじめてのアメリカ。たった8日間の旅。


空港に迎えに来た去年までのアシスタント(3ヶ月のアメリカ横断の旅に出ている)にいきなりハーレムに連れていかれた。彼女が予約していた宿がイーストハーレム116STだったのだ。


ハーレムといっても端のほうで、しばらく歩くとセントラルパークになる。20年前のセントラルパーク辺りはポルノショップが並ぶとてもヤバイ所だったらしい。公園は危ない人たちの溜まり場だったと聞く。ここ数年ですっかり整備され銃声が聞こえるようなことはないという。しかし安全になったとはいえ、ハーレムはちょっと怖い。地下鉄の駅を出ると赤いレンガのビルが目に飛び込んで来た。刷り込まれるようにそこが僕のNYとなった。


さすが元アシスタント、センセイの好みを良く分かっている。なにかアジアを感じさせる街並はいっぺんに好きになった。危ない危ないと脅かされていたわりには、道行く人からそんな空気は感じられない。景気がいいせいか近ごろはこの辺も治安が良くなってきたらしい。危ないところはマンハッタンのもっと先。とはいえハーレムはハーレム。白人の姿は見えない。黒人とヒスパニックだらけ。でかいラジカセから流れる音楽はヒップホップのみ。


NYに来て一番驚いたのが肌色の多さ。「人種の坩堝」という言い回しに初めて合点がいった。「名古屋のういろう」の宣伝文句に「白、黒、抹茶、あずき、コーヒー、ゆず、さくら」というのがあったがまさにそれ。黒は黒でも闇に溶けそうな漆黒から、赤土を乾かしたような赤銅色まで。ヒスパニックの褐色からKORIAN,CINO,JAPの黄色。日本にいると気がつかないが日本人は黄色だ。白も北欧系の透き通る白から、毛細血管が浮き出た赤ら顔。


日本で、絵の具の「肌色」という色に意義を唱えていた団体があったが、なるほどいう通り、こっちでは通用しないな。英語もドイツなまりに中国なまりにメキシコなまりと正しい発音をしているのは少ないと感じる。あんまりいろんなのがいっぱいいるから自分をアジアから来た旅行者だという変な負い目を背負わずにすむ。これはヨーロッパとは大きく違った。もっともNYはアメリカじゃないというから、一歩マンハッタンを出るとまた違ってくるのだろうけれど。


カメラはライカのR7にマクロエルマリート60ミリf2.8付きと、ハッセルSWCビオゴンの2台を持っていった。ライカは買ったはいいがあまり使っていなかったので、ここらで徹底的に使ってやろうと思っていた。ローライではなくて広角のSWCだったのは、場面を切り取るというより、まるごとという意識があったから。それでも行く前に機材をどうしようか結構悩んだ。仕事のときはどちらかというと、あれもこれもというのをどう消去していくかが問題になるが、プライベートの場合は核となるのをひとつに絞る。今回は2台だが実際撮る時はどちらかしか持ち歩かない。


フィルムはそれぞれモノクロ20本をもっていったのだが、ハーレムに着くなり街の色の美しさに心を奪われ、現地で35ミリのコダクローム64を20本買いなおした。マディソンスクェアガーデン近くのB&Hという、日本でいうヨドバシカメラにあたるお店は、店員のほとんどがジューイッシュで、あの独特の髪型に帽子をかぶっている。カメラから照明機材、暗室用品とプロ用製品も数多く揃えていて、2階では中古品まで扱っていた。ボロボロの暗室道具まで売られていて、それが結構いい値をつけている。日本じゃ誰も買わんぞという感じだ。新品中古をとわず日本より若干割高。1ドルが110円くらいになって同じくらい。今回のレートは125円だった。


購入システムも複雑で、お店に入ったら自分のバッグを係員に預け、フィルム1本買うにもフィルム売り場の係員に種類とサイズと本数を申告して後ろから持ってきてもらい、原物を確認し、クレジットかキャッシュかを係員につげ、クレジットの場合は電話番号を伝え、伝票をもらい、キャシャ−に並び精算をし、また伝票を受け取り、最後に商品の受取所にまた並んでようやく手に入るという仕組み。「あッ買い忘れた」というともう一度やり直し。ヨドバシに慣れている身にはつらい。初めから何を買うかハッキリ決めておかねばならない。日本のように買い物カゴを下げて「このフィルムも買っておこうかな−」というのは通用しない。日本でカメラマンやってて良かった。NYのカメラマンがヨドバシにきたら絶対感激するに違いない。


時差ぼけか疲れていても朝6時前には目が醒める。部屋を出て街に出てみる。どこの国に行っても朝の散歩は変わらない。どこへ行っても大概高ぶっていて寝てなどいられない。それに朝は光もきれいだし、街も生活のために動いているから異邦人のことなど誰も気にしてなどいない。毎日2時間、ハーレムの辺りを歩いた。生活者となるため、ダンキンドーナッツでコーヒーを頼み、地下鉄前の黒人の売り子から新聞を買ってメッツの新庄の活躍を見る。キッチン付きのアパートなので朝飯の卵や果物を仕入れる。その合間にSWCを街に向ける。今回のSWCでの撮影は、ほとんどが朝か夕方だった。


昼はライカで街の色を拾って歩いた。中心部は日本と大して変わりないが、古いものをしつこく使う性質があるのか、アパートや地下鉄などは驚く程古めかしい。何度も塗り直したペンキの地層やくすんだタイル、ドアノブの真鍮、崩れそうなエレベーターに美しさを感じる。


R7のゴトンというシャッター音は、特別音が小さい訳ではないのに、周りの人を不快にさせることがない。マクロレンズを繰り出して物を捕らえ、息を吸い込んでシャッターを押し込む。ISOが64のフィルムだからたいていは絞り開放となる。絞り優先のオート。広角レンズでオートは使わないが、マクロでコダクロームということでオートで撮ってみた。露出補正はかけない。



ただの旅行者でなくては分からない感覚、生活している者には気がつかない美しさを求めて旅をしているのかもしれない。同じ所にいるとそのマジックが消えてしまいそうで移動を重ねてしまう。1ケ所にじっくり腰を据えてということを考えたことがない。どんなに気に入ったところでも次の日には移動を考える。表層だけを滑るように動き、表面に浮いた上澄みだけをすくう感覚。「そんな写真には深みがない」と言われたところでしょうがない、これが僕のスタイル。


当然ながらNYでの1週間なんてあっという間だった。毎回行った土地の大体の地理が頭に入る頃、旅が終わる。今回は美術館に行って、ギャラリー巡りをし、メッツのゲームを見て、「ブルーマン」のパフォーマンスを楽しみ、ゴスペルを聞きに行った。あとはぐるぐる歩いただけ。

自分へのおみやげは、コダックの「TOURIST」という蛇腹のスプリングカメラと古めかしいウェストンの露出計。どちらも骨董市(どうみてもガラクタ市だったが)で見つけた。2つ合わせて25ドル。極めてシンプルな構造のこのカメラは日本に持ち帰ってフィルムを入れてみたら見事に写った。

カメラの三脚を取り付ける穴は、そこの周りだけうっすら削れている。アメリカのどんな家族がどんな記念写真を撮ったのだろうか。

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