vol.26:この頃さわったカメラ ヴィトンライカ

去年までのアシスタントSが3ヶ月のアメリカ横断の旅に出ている。

彼女は昨年の暮れに始めてパリ、ロンドンに行ったかと思うと、1ヶ月後もう一度パリへ。その2ヶ月後台湾へ。そしてすぐさまアメリカへと飛んでいった。7月にNYで合流した時、向こうでできたたくさんの友人に囲まれる彼女を見て、旅行者として逞しくなっていたことに驚かされた。

20年前、僕がまだ学生の頃、ヨーロッパに行こうとすると、格安の南回りの航空券で30時間以上かけても料金は20万を下らなかった。時給500円が相場の頃にだ。卒業旅行で海外に行った者は、代償として3年間のローンを背負うことになった。円がまだ200円をきっていない時分の話。

その頃、まさか外国に行くのがこんなに簡単になるとは夢にも思わなかった。今は海外に住むことまで視野にいれることができる。外国に住みたいと思ったことはないが、もし2001年に20歳だったらどうなっていただろうとつい考えてしまう。

彼女がアメリカ行きに持っていったのはライカの3cにズマロンの35ミリf3.5付。

このカメラ、外見がちょっと変わっていて、真鍮の軍艦部がグレーともガンメタともつかない色に後塗りされている。ガチャパダと呼ばれるボディのところには、なんとヴィトンのハンドバックから切り取ったと思しき革が張ってある。何処かのもの好きが遊びで作らせたのだろうか。

ライカが欲しいと言っていた彼女を連れて撮影帰り、銀座のレモン社に寄ってみた。ライカコーナーのおびただしい量に圧倒され、一体なにを選べばいいのか分からないにもかかわらず選びだしたのが、件のヴィトンのライカだった。M型もバルナック型も良く分からない彼女は、単に物として美しいという単純な理由でかなり正しい選択をした。実際それは僕も非常に心引かれる個体だった。もう一台エルメスバージョンがM―3であったが、3cの小ぶりの良さには到底及ばない。

プライスタグには18万円とある。正しい価格設定のような気がした。動作もしっかりしていたため、買うことを薦めたものの、内心自分で買おうか心が揺れた。しかしこのカメラに限っては、23歳の女性が持つに相応しいと諦めた。レンズは僕のM−3に付いているものと同じ物がいいということで、ズマロンの35ミリをチョイスした。オーバーホールの伝票がついて5万5千円。

彼女はライカの外付け35ミリファインダーの値段が高い(中古で7〜8万円)という理由で、カメラ本体の50ミリファインダーで間に合わせている。国産のファインダー(コシナ製だと2万円弱)を薦めたのだが、「美しくない」という至極まっとうな理由で却下された。それでも50ミリのファインダーで問題なく撮っている。いや、たぶんちゃんと覗いてなんていないのだろう。ファインダーなぞ気にせずにバンバン撮っているのがらしさを演出している。出来上がった写真には、妙なリアリティとスピード感が出ている。

ヴィトンライカの最も素晴らしいところは、カメラ自体が立派なコミュニケーションの道具になっていることだ。彼女はどこに行っても、誰に会ってもヴィトンライカをふりかざし「I am Photographer.」と言ってのける。ライカにヴィトンというブランド界の最高タッグは、パリの婆さんにトレヴィアンと言わさしめ、写真家のエリオットアーウィットに会っては、カメラをネタに会話を成り立たせてしまう。カメラ好きか否かを問わず、ほとんどすべての人が興味を示すヴィトンライカは、コミュニケーションツールとして最強のカメラと言えるだろう。



冗談で作られたと思われる3cは、彼女によって初めて存在理由を得たようだ。このカメラに防湿ケースは似合わない。世界へ飛び出してこそヴィトンカメラの意義がある。