vol.30:巴里 1999

シャルルドゴール空港で迷った。

チューブ状のエスカレーターを昇り降りしてやっとイミグレーションを抜け、地下鉄に乗ろうとメトロの標示があるゲートを抜けたら外へ出てしまった。もう一度確かめるとやっぱりメトロと書いてある。地下へ続く階段もエレベーターもない。
インフォメーションでメトロの場所を尋ねると、面倒くさそうに、本当に面倒くさそうに顎の先を今僕が出てきたゲートのほうに突き出した。

「そこは知ってるって」

もう誰にも頼らない。自分で探す。断固決意し、もう一度ゲートをくぐった。そこにはバスが止まっていて皆が乗り込んでいるところだった。

僕の旅の哲学の一つとして「目の前のバスに乗れ」というのがある。その哲学に従いバスに乗り込んだ。なんのことはない、着いた場所はメトロの駅。空港と駅が直接連絡していなくてシャトルバスで送迎していたのだ。


パリへ行こうと思ったのはサチというモデルに出会ったからだ。仕事で撮影し、上がりを見ていたらどうしても気になってしょうがない。人物の撮影を続けていると、「上り調子の人の持つ何か」を感じることが出来ることがある。彼女もその「何か」を持っている一人だった。所属事務所に連絡して、もう一度個人的に撮らせてもらうことにした。ところが彼女に連絡したらパリコレに出るためパリに1ヶ月行くという。東京で撮るよりよさそうな気がして、僕もパリに行くことにした。


地下鉄に乗りレアルを目指す。

フランス語の綴りが読めないから、寝ていると今どこを走っているか分からなくなる。一つ一つ通過駅を確かめながら座っていた。田園風景が次第に町へと変わっていく。

レアルは大きなターミナル駅だった。またしても出口がどこだか分からない。改札を出ているのに一向に出口らしきところがない。20分くらい迷ったあげく大きな黄色の扉を押してみた。

やっとパリの空気を吸うことが出来た。しかしホテルに着くまでに、もう一迷いすることになる。


宿はキッチン付のホテルオリオンを1週間予約しておいた。ポンピドーの近くで、窓からはイノサン公園の噴水が見える。キッチン付にしたのは、これまでの少ない経験から、「ヨーロッパでアジア人が一人でレストランに入るのはちょっとつらい」と知っていたため。まして毎食だと食事を考えるのも面倒になる。かといってファーストフードはもっと嫌。せっかくフランスに来たのだからおいしい物も食べたい。それでキッチン付きを借りることにした。

食器や調理道具は一通りそろっていたので、近くのスーパーまで買い物に出た。割合大きなスーパーだったが日本に比べて品数は少なかった。とりあえずチーズ。ブルーチーズと山羊のチーズとウォシュッタイプのチーズ。全部くさいのばかり。パスタと野菜、ニンニク、トマト缶、オリーブオイル。それとワイン。値札を見たら3000円となっている。「なんだフランスでも高いんだ」と思っていたら勘違い。300円でした。ワゴンに積んであるのは50円くらいからある。さすが、水よりずっと安い。ワインとチーズ以外の物価はあんまり日本と変わらない。

結局、着いた夜だけは一人でレストランに行ったものの、後の夜はモデルのサチとの2回の食事以外はホテルで自炊して食べた。一人でレストランに行くよりずっと楽しい。メニューはパスタが中心でトマトやアサリやチーズのパスタを日替わりで作る。それにワインとパンがあれば充分フランス気分。あれっこれじゃイタリアンだ。

でも実は、一番おいしかったのは日本から持っていったレトルトのご飯とカレー。それと中華街で買った中国版「出前一丁シーフード風味」。終日歩き回って疲れた体に染みるようだった。そういえば、ロンドンでも風邪気味のとき「どんべい」を食べて元気を取り戻したことがある。体が弱ると日本人体質が出てくるのか。


パリの2月の朝は遅い。7時でもまだ暗い。出勤途中の人達の靴音が石畳に響く。だんだんと空が明けていく。なんの予定もなく、なにもしなくていい日。お湯を沸かしコーヒーを入れて今日の行き先を考える。

毎日マレの辺りを歩き回った。マレは法律で古い建物が保護され、皆内装だけを変えて住んでいる。アスファルトではなく石畳。100年前とさほど変わっていないという。変えないことがパリに人を呼ぶ。

歩いて疲れても休むところには事欠かない。道の角々にカフェがある。レストランは一人で入りづらいがカフェなら大丈夫。昼はスープを頼む。そうすると結構な量 のパンが必ず付いてくる。冷えたからだを温め、腹もふくれる。

カフェのあとは美術館。ルーブルには行かなかったが、ピカソ美術館や写真美術館はよかった。旧い建物をそのまま残し上手に展示していた。表から見ると美術館には見えない。

疲れてホテルに帰り窓の景色を眺めながらお茶を飲む。噴水に集まる人々を眺めているだけでいい。

サチとは1日パリを歩き、ノーメークの彼女を撮った。お互い見知らぬ土地での2人きりの撮影は、緊張が解けるまで時間がかかった。

彼女はこのパリ行きで「マリリン」という、モデル事務所では世界最大手(ケイトモスが所属している)の事務所と契約することが出来た。彼女の友人と3人、パリで祝杯をあげた。


アジアばかり行っていた僕にはとてもいい旅だった。だがもう一度パリにいくかと聞かれたらどう答えるだろう。


「好きだけど、たぶんもう行かない」



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