vol.34:考える

林香里さん(独・デュッセルドルフ大学講師)が寄せた朝日新聞の文の中に「ヨーロッパではもともとジャーナリズムという言葉は<市民がつける日記>という意味がある」とあった。

「パブリックジャーナリズム」にふれ、「ジャーナリズムは有名人やエリート記者たちの独占物ではなく、一般市民の中からこそ誕生する」と90年台前半に米国に生まれた改革運動を紹介している。


したり顔のコメントを載せた「ジャーナリスト気取りの学生」のHPの日記も、やはりジャーナリズムということになる。現場のしきたりを知らないものがウロウロするのはどう考えても困ったもんだが、それでも市民の眼のひとつになるのかもしれない。


「無知は罪」という言葉がある。「知ることの大切さ」を村上龍が熱心に説いている。みんなが見ているというのは大事だと思う。為政者が何かをすれば「みんなが見ている」。権力に対しても「みんなが見ている」。見ることは考えることにつながる。考えることは想像力に。昔はよかったとよくいうが、「見たことを多くの人に伝えられる」ということに関しては、今はいい時代だ。


ニューヨークでは大リーグが再開した。ミュージシャンが追悼のコンサートを開いている。野球人は野球をすることで、ミュージシャンは音楽で、それぞれが出来ることを始めている。写真家は市民の眼のひとつとして写真を撮ることで参加するほかない。


写真は社会に対してなにができるのか? 想像する。


NYへのテロがあったのでいろいろ考えました。雨がやんだら季節が変わっていました。今日はいい天気です。次回からはまたバカ話に戻ろうと思います。