vol.45:子どもの写真

新宮様誕生。


皇室事とは無関係に暮らしていても、「母子ともに良好」の報によかったなと素直に思える。


生まれる前のマスコミの大騒ぎにはあきれた。ほとんどの人が「そっとしておいてあげて」と思ったんじゃなかろうか。


両陛下と皇太子、雅子様が通り掛かるところに偶然居合わせたことがある。群衆に向け、たおやかに手を振られる姿に見とれ、興奮している自分に気づいた。皇室に対してクールだと思っていたはずなのにその反応振りに自分で驚いた。


皇太子もオムツを替えたりするのかな?ろくでもないニュースばかり流れていたから、年の瀬に一つの命が生まれ、それを喜ぶことができてよかった。




写真集「午後の最後の日射」にはアジアの島の子どもたちがたくさん写っている。意図したわけではないが自然とそうなった。


何せ小さな島だから日常でそうそう変わったことは起きない。そんなところへフラフラと身なりの粗末そうな男がやってくるのだから、暇をもてあましている子どもたちには格好の遊び相手になる。




バリ島から軽飛行機で30分、ロンボク島にタンジュン・アンという入り江がある。周りを小高い丘に囲まれたビーチは真っ白な砂で覆われ、遠浅の海には珊瑚を隠れ家に蛸やロブスターが住んでいる。


辺りに観光客らしい姿は見えない。ビーチに腰を下ろすと、どこからかフルーツを1つ手に少女が現れた。はずかしそうに「買って」と言っている。バリ島の「買え買え」攻撃にずっとさらされていたため、咄嗟に「いらない」と手を横に振ってしまった。悲しそうに去る後姿に買えばよかったと後悔した。


すると遠巻きに見ていたほかの子どもたち数人も興味津々で近づいてきた。彼らは日本語はもちろん、英語すら知らないのだから現地の言葉で話しかけてくる。当然こちらは分からない。今度はゆっくりと単語を切って話しかけてくる。ゆっくり言ってもらったところで単語を知らないのだから理解できない。


そこで万国共通ジェスチャーが出てくる。意外とこれは通じる。分かりだすと面白い。調子に乗ると子供たち相手に延々とジャスチャーを強いられることになるが。




ちょっと仲良くなりローライの2眼レフのファインダーを覗かせてあげた。スクリーンに映る空や海の美しさに目を丸くする。左右逆像だということに気づくと、それを確かめるためにカメラの前を行ったり来たりしてみる。すると自分が覗けないことにハッと気づいて照れくさそうにする。そんな仕草がかわいくてついシャッターを押してしまう。




別れ際、唐突に3人の男の子が互いの身体を寄せあった。突然の出来事に手元にあった防水型コンパクトカメラを握り1枚シャッターを押した。自動巻上げが2枚目をチャージしたときには、もう何事もなかったように男の子らは去って行った。




写真集の扉であり、このサイトのトップ絵になっている写真だ。この写真が撮れたことでその後10年に及ぶ島旅が始まることになった。




島の子は悪ガキもおとなしいのも、とってもわかりやすい。目を移すと、木陰で若い衆がカードゲームに熱中している。この子達がそのまま大きくなったような連中だ。島で生まれて島で育つ。いいことばかりではないだろうが、彼らを見ていると、どうもわるいことばかりではなさそうだと思える。




アジアの島に行くと子どもが好きになる。日本に戻ればまた元に戻るのだけれど。それでも自分の中にそういう部分があったことにちょっとほっとする。




12月4日付けの朝日新聞朝刊に、えひめ丸の海難事故で一人だけ遺体が発見されなかった実習生水口峻志さんが使っていたデジタルカメラからの事故前の写真が掲載されていた。


真珠湾沖に沈む船から発見されたデジタルカメラは、空気酸化を防ぐため海水入密閉容器に入れて持ち帰られ、メーカーのソニーがデータを復元。メモリーには72枚の静止画と動画が6本残されていたと伝えている。新聞の1面には船窓から撮られた荒れた海の写真が載っていた。復元されたデータの中には、彼自身が写っている静止画が1枚と、動画が1本あるという。


9ヶ月以上海水につかっていたデジタルカメラからデータが取り出されたことには驚いた。データを取り出したソニーもすごいが、船内からカメラを引き上げる際、あきらめずにきちんとパッキングして送ってきた関係者の機転がすべてだったと思う。復元されたデータを受け取った家族には宝物になったことだろう。


機転と技術がほんの少しだけ残された者の悲しみを癒したことは間違いない。