vol.52:ピンボケ

「機械にピントが合わせられるかい!」ベテランカメラマンの言うとおり、ミノルタα7000は動いているものにピントを合わせることは出来なかった。手前に走ってくるものにピントを合わせた場合、ピントが合った瞬間にシャッターを押しても、ミラーが上がりシャッター幕が走るときにはもう先ほど合わせたピント位置から被写体はより手前に来ている。これでは絶対に合わない。


事前に移動量を計算しピントを先送りしなければならない。動体予測と言っているが、当時一眼レフカメラにそれを制御するCPUが組み込めるとは考えられていなかった。だが人間は訓練によってそれを可能にする。動体予測こそスポーツカメラマンが持つ最大の技と言えた。




スポーツ新聞社のベテランカメラマンともなるとピント合わせの技はほとんど職人の域に達している。その中でも各社一人は神技と呼べる人たちがいた。


スポーツ新聞のメインはやっぱり野球である。カメラマンも、巨人戦ともなると(大阪なら阪神戦、名古屋なら中日戦)一塁ダッグアウト上、三塁、センターバックスクリーン、そしてゴンドラ席と最低4人の布陣となる。


なかでもゴンドラ席は各社腕利きのベテランが座る場所。ゴンドラ席とは一塁側観客席中段上くらいに位置し、ちょうど三塁とホームを結ぶ延長線上にあることが多い。そこからならグランドの隅々までを見渡すことが出来る。


一塁、三塁、センター席のカメラマンがバッター中心に撮影するのに対しゴンドラ席は、守備を主にハプニングなどを撮影する。要するにバッターが打ったボールの行方を撮る立場にある。


「ピッチャー投げました(カーン)打ちました!」のアナウンスの声と同時にレンズが振られ、野手が捕球する前にすでにシャッターが切られている。「横っ飛びのファインプレー」など、ゲームを左右する場面ともなると新聞紙上には絶対必要だ。必ず撮れるバッターとは違い、守備のプレーにもう一回はない。


どう考えてもボールより速くレンズを振っている。ピントはいつ合わせるかというと、「レンズを振りながら」ということになる。レンズといっても600ミリの超望遠レンズである。ピントの合う幅は限りなくゼロに等しい。


なのに、重要なプレーやハプニングがあると必ず写っているのだ。しかもピントぴったりで。試合を決定付けたファインプレーやエラー。一瞬を争う一塁ベース上でのランナーと捕球者の交錯。必要とされるものは全て写っていた。


横で撮影しているところを見ていると「カーン!」とバッターが打った瞬間にもう「カシャ!カシャ!カシャ!」と3〜4の枚シャッター音が聞こえる。しかし肉眼でボールの行方を追っても飛んでいくボールなど見えない。いったいどうやって撮っているのか。


話を聞くとピッチャーの配球、バッターの癖、ランナーの有無、アウトカウント、点差、色々なことを頭に入れてあらかじめ狙いをつけておくらしい。その上で右目でファインダーを、左目でグランド全体を見てボールの行方を追い、守備の人間が動いたところに瞬時にレンズを向ける。ピントはもう長年の経験で三塁ならこのくらい、センターならこのくらいと指が覚えているという。だからバッターが打った瞬間にはシャッターが切られているのだ。


オートフォーカスは一度ピントをはずすと、もう一度合わせ直すのに時間がかかる。その間にプレーは終わっているから使えない。「いくらオートフォーカスが進化してもやっぱり手で合わすのが一番確実性がある」と言っていた。




スポーツ新聞社のカメラマンだった頃は毎日がピント合わせとの格闘だった。いくら良いポジション、シャッターチャンスだろうとピントが合わないことには使い物にならない。


最初の壁は大相撲の撮影だった。新人の役目は花道上の階段から土俵上の勝負を撮ること。300ミリf2.8の望遠をつけたカメラの重さは4キロ以上。これを三脚、一脚をつけず手で持って撮る。鉄アレイを持って撮っているようなものだ。


土俵の大きさは直径4.55メートル、仕切り線から俵までわずか2メートル。驚くほど狭い。つまり、立会いから土俵を割るまで2メートルの間に決着がつく。その2メートルの範囲内でピントを合わせればいいだけなのだ。


ピントリングの幅にして5ミリ。たった5ミリ動かすだけでいいのに3センチも4センチも回して盛大にピンボケばかりを作ってしまう。


社に戻り現像が上がるのがたまらなく嫌だった。だってピンボケばかりだと分かりきっているのだから。毎日毎日、怒鳴られ、呆れられ、己の才能のなさに絶望的な気持ちになった。


ピントが合ってきたと感じたのは3年目。段々うまくなって、というのではなく、ある日突然合い出した。今まで何でこんなことに苦労していたのか不思議なくらいだった。そうなるとサッカーだろうが陸上だろうが競馬だろうがなんでもピントを合わせる自信がついてきた。


しかし、3年間で何でもうまく撮れるかというとそんなわけにはいかない。数あるスポーツ撮影の中で僕が一番難しいと感じたのはフィギュアスケートだった。演技が始まってから終わるまで一度も止まることなく動き続ける。どこでハプニング(転倒など)が起こるかわからないから、その間ずっとピントを追い続けなければならない。急ターンにスピン、ジャンプと目まぐるしいことこの上ない。しかも、いったんピントを外すとその修復は困難を極める。


特にジャンプシーンは鬼門だった。撮ろうとすると顔がきちんと見えるタイミングは1度しかない。なのにモータードライブ連写して、背中を向いたシーンばかりを写してしまったことがある。後ろ向きばかりの写真をデスクに持っていくと「これと、これの間のカットを焼いてきてくれ」とキツイ一言を言われてしまった。


それからは、どの場所でどのタイミングで飛ぶのか、練習滑走のときに有力選手の滑りを頭に入れて本番に臨んだ。スポーツ写真は競技のルールや選手の動きを知らないことには撮れない。写真の知識以外のことも多く要求されるのだ。




今はスポーツ写真もオートフォーカスが当たり前になった。8年前、キャノンのEOS―1Nが出たときに多くのスポーツカメラマンがニコンからキャノンに鞍替えした。このカメラによって始めてスポーツ写真にオートフォーカスが使われるようになった。そしてニコンもF5を発売しマニュアルフォーカスのカメラマンはほとんどいなくなってしまった。


今、競技場のカメラマンブースにはキャノン、ニコンのオートフォーカス超望遠レンズがズラリと並んでいる。彼らの左手はピントリングに添えられているだけで、決して動かされることはない。