vol.62:車の写真

30日間に21泊という怒涛のロケから帰ってきて3日後に写真展。ゴタゴタとGWの後半をつぶし、疲れの抜けぬまま通常の仕事に突入。ようやく週末になって一段落できた。


先週は外での撮影だと言うのに天気がさえず、毎日天気予報とにらめっこだった。水曜、木曜となんとかなったものの金曜日はさすがに雨。幸い倉庫で撮ることが出来てなんとかなった。


お天気運はいい方だと思う。梅雨の合間のロケでその日だけ晴れたり、撮影終了とともに大雨になったりと、自称「晴れ男」だ(まっ、大概のカメラマンは必ずそう言うけどね)。ただし一旦雨が降るとどうしようもないくらい降る。外での撮影は絶対無理、というほど降ることが多い。


で、なんの撮影だったかというとカーオーディオ。6機種を色々な車に装着してダッシュボードごと撮る。内装は黒あり明るいグレーありまちまちなのだけれど、きちんとインパネがテカらず見えて、中のインジゲーターが美しく光ってなければならない。その辺が腕の見せどころ。


でもカタログのようではなく少しリアルさを残したいので、ストロボのような人口光をなるだけ使わずに自然光を活かすことにした。でもただそのまま撮ったのではうまく写らないので5メートルもある黒布を車にかぶせたり、半透明のディフューザーをウィンドウに張ったりと細工を施す。車雑誌って大判サイズの紙面が多い。見開きでドーンと写真を使うとカッコイイのだけど細かいアラも全て見えてきて怖い。特にブツはホコリや汚れがみんな出る。


出来上がりはまあ満足。いや、もうちょっと詰められたのではないかという思いも残る。これが人物撮影だと、相手との共同作業の要素が強いから撮影後の心残りというのはあまりないけれど、ブツだと自分でどうにでもコントロール出来るため後々まで気になってしょうがない。


この仕事は、車雑誌「Navi」の編集長だったO川氏が、老舗のライバル車雑誌「MM」に移籍。そこの雑誌から編集長直々の依頼だった。プロ野球で言えば、巨人の監督が阪神に移籍するようなもの。最初にこの移籍話を聞いたときは仰天した。もっとも数年前、当時「Navi」の名物編集長だったS 木氏が、新潮社からまったく同じターゲットの車雑誌「ENGIN」を創刊するという、あっと驚く前例があったけれど。雑誌は編集長が変わると中身もガラリと変わる。老舗の車雑誌「MM」がO川編集長の就任によってどんな風になるのか楽しみだ。




どうした訳か、フリーになった直後から車の仕事には縁がある。最初に売り込みにいったのはバイク専門誌だったし(こう見えてもバイク小僧だった)、初めて撮ったポスターはベンツの190Eだった。




フリーなって3年目、初めての大きな仕事はシボレーカマロ、ブラックスペシャルの撮影。ポスターにパンフレットに新聞広告、雑誌広告。どうやって撮ったらいいのかデザイナーが作ったラフを持って、知り合いの広告カメラマンに聞いて回った覚えがある。館山のリゾートホテルを使っての金髪のモデルと車を撮る2日間のロケ。


買ったばかりのフジGX680の重機関車のようなセットに、予備のボディを機材屋でレンタルし、レンズも考えうる全てのものを用意した。フィルムもポラも売るほど持って行って、せめて量だけはたくさん撮ろうと考えた。




撮影初日の夜、ちゃんと撮れているかどうか不安で不安でホテルのベッドに腰掛け、まんじりともしなかったのを思い出す。「もし失敗していて、何も写っていなかったらこのロケにかかった費用は全部俺が払うんだろうナ。いったい、いくらになるんだ? そういえばこの間、カメラが故障していたのに気がつかず(コンタックスのRTSだったそうナ)撮影を全滅させたカメラマンが賠償金として200万支払ったと聞いたばかりだしナ」隣を見るとアシスタントがスヤスヤと寝息を立てている。腹が立って思わずベッドを蹴飛ばした(オマエはイイヨナ)。


ロケから戻ると真っ先に現像所に駆けつけた。テスト現像が上がる2時間、家で待っていられなくて現像所の辺りをウロウロした。喫茶店に入っても落ち着かず、コーヒーを飲んでも味がしない。2時間をこんなに長く感じたことはそれまでなかった。30分前には現像所の受付前で陣取るように待っていて、出来上がるやひったくるようにライトボックスの上に仕上がりを広げた。




その時のポスターやパンフレットが大掃除の時に不意に出てきたりする。今見るとヘタクソでとっても恥ずかしい。しばし眺めた後、また事務所の隅っこの方へ、普段絶対目に付かない場所へとしまって置くことになる。


たまにその時のことを思い出すと胸が痛くなる。出来ることならもう一度同じ条件の仕事がしてみたい。写真の仕事にもう一回は無いことは重々承知の上だけど。

(2002/05/12)