vol.82:二人の希望者

このサイトでアシスタントの募集をしたら2名の応募があった。


一人は33歳で、一流私大卒、DTP(デスクトップパブリッシング)の職場を経て30歳より写真を始める。数ヶ月前まで物撮りのスタジオでアシスタントをするが体調を崩して退社。現在一人暮らし。もうフリーカメラマンとして活動したいがブックを持っての売込みがうまくいかないらしい。


僕としては経験者が助けてくれるのは大変ありがたいが年齢も独り立ちするにはギリギリのラインだし、いまさら僕のところで覚えることも少ないだろうからメールをもらった時からお断りしようと思っていた。でもせっかく連絡をもらったのだから一度会ってみることにした。


日記にもこの顛末は書いたが、彼はクリアファイルに入れた5冊ほどのブックを持ってきてくれた。1冊目、女の子をロケ、スタジオで撮ったポートレート集。APA(日本広告写真家協会)賞入選作も含まれていた。2冊目、スタジオでの物撮り。3冊目ローアングルで撮った町のスナップ。ここまでは、可もなく不可もなくというところで、これといった新鮮味は感じられなかった。


ところが4冊目、原宿の町で行きかう人を呼びとめ「普通の顔」と「笑った顔」を撮ったシリーズで思わずページをめくる手が止まった。それまでのブックはパラリ、パラリという感じだったのに一つの写真を見る時間が長くなったのだ。それは最後の1冊、新宿で撮られた同じシリーズになると、見ながら思わず声が出ていた。「これおもしろいねー」


原宿で写っている人というのは、当然若い子ばかりで「笑い顔」もどこか作ったような雰囲気が見える。それはそれで面白いのだが、新宿編で若者に混じっておじさんやらおばちゃんが登場すると、途端に顔が活きてくる。笑った顔から銀歯が覗き、顔をクシャとさせて笑う姿に愛おしささえ感じる。横にブスッとした「普通の顔」が並んでいるから「笑った顔」の愛らしさがよりいっそう増して見えた。


誰でも考えそうなシリーズだけど道行く人を呼びとめ「笑ってくれ」とは誰もやらない。過去にも同じ方法論を撮った写真があるだろうがそんなことは大した問題ではない。写っている写真は確実に面白かった。




おそらく見せてもらった5冊のブックを持って営業に行ったとしても「けっこういいですね」とだけ言われてその後仕事に繋がる連絡はこないだろう。人物も物も、ある程度撮れることは分かるが、今お願いしているカメラマンを切ってでも彼を使いたいと思わせる力は正直感じない。


でも、笑顔のシリーズだけはそれを突破できる何かを秘めているように感じた。残念ながらクリアファイルに入れられた写真では見え方が半減する。DTPの経験がありMacを持っているとのことだったので、オリジナルの写真集を作ることを勧めた。プリンターを使って作る写真集簡単製本キットがたくさん出ている。3冊くらい作り、1冊は保存用、後の2冊で営業する。たくさんの人に見せていくうちに誰かが認めてくれるはずだ。現に僕はいいと感じたのだから。


後は仕事を一緒にやっていける人にめぐり合うだけだと思う。もっともそれが一番大変なのだけれど。




2人目のアシスタント希望者は、子どもが一人いる妻帯者、年齢は35歳。現在北陸に住んでいるエンジニアだった。


メールの文面からは、どうしてもカメラマンになりたいという思いが伝わってきたが、残念ながら僕のアシスタントになっても生活していくことはできない。一人身ならまだしも子供を育てていく責任が彼にはある。


35歳という年齢は、カメラマンになるには遅すぎることはないと思う。しかし、なにもかも未経験だというと、3年間アシスタントをして、経験を積んで、世の中に出る頃にはもう40歳近い年齢になってしまう。そこから新人フリーカメラマンとして20歳くらいの若者と勝負をしていかなければならないのは正直大変だと思う。


おそらく年収は100万円くらいにしかならないだろう。「食べていければいい」と言う人もいるだろうが写真をやるにはお金がかかる。独立時に35ミリカメラ、中判カメラ、大型ストロボで200万円近くの出費になる。そのほか近頃では、一眼レフデジタルカメラ、MacのG4クラスのコンピューターなども必需品となってきた。初期投資額は結構なものになり、それを回収するには相当な時間がかかる。まして機材は次から次へと必要なものがどんどん出てくる。


作品を作ろうと思えばフィルム、現像、プリント代を捻出しなければならない。10年くらい経験があるカメラマンでも楽な生活をしているのは意外と少ないと思う。廃業する人もこのところ多いと聞く。そんな世界に35歳子持ちの人は誘えない。アシスタントをお願いするということは、その人の人生の一部を預かることだといつも思っている。使うだけ使って、後は知らないという態度は取れない。


彼にもメールで書いたがカメラマンでなければ写真を続けられないということは、なにもない。故鈴木清さんのように、本業の看板屋をやりながら作品を発表し続け、国内外で高い評価を得て「土門拳賞」までとった人もいる。看板屋をやっているから「写真家」ではないなどと誰も言わない。ストイックに作品を作り続ける一つの理想のようなものが鈴木清さんにはあったように思う。


願わくばメールを送ってきた彼にも、北陸の地で写真を撮り続けていって欲しいと心から思う。




東京で出来て、地方で出来ないことなどなにもないのだから。

(2002/12/18)